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院長ブログ

2014年3月12日

震災から3年が経ちました。

震災時、津波が起こった時の報道を聞くと、責任ある人物の判断ミスにより多くの人が亡くなってしまった事例が多々ある事が本当にやるせない気持ちになります。

小学校で校庭に集められた生徒が、すぐそばの高台に避難するように訴えたにもかかわらず教頭の判断で津波のほうに行ってしまった事や、子供を乗せたスクールバスが親の所に戻そうと引き返して津波に飲み込まれた報道など、それによって子供を亡くした親は無念でならないだろうと思います。やはり普段からの危機管理といざという時の決断力がいかに大切かとしみじみ思います。

ところで、自分は震災発生時、午後の診察が始まるすこし前だったので、地震の事は患者さんから聞いて初めて知りました。当時、妻が里帰り出産で実家の茨城県に帰っており、生後1か月後の赤ちゃんがいました。高台の家ではありますが、庭から海が見えるところに家が建っていたためとても心配しましたが、電話は通じないし無事かどうかの確認すらできませんでした。

無事が確認できほっと安心したのもつかの間、今度は原発がいよいよ怪しくなってきて、救出にいったほうがよい状況になりました。

当時は道もいたるところで通行止めになっており、もちろん電車など走っていないし、行くなら車で行くしかなかったのですが、ガソリンがどこも入れられない状態でした。自分の車のガソリンを仮に満タンに入れられても距離的に行って帰ってこれるかどうかだったので、レンタカーで新型プリウスを借りて救出に向かいました。

電気、水などの生活インフラがすべて停止してしまい、水や食べ物も十分ない状態だったようで、こちらが考えていた以上にたいへんな思いをしていたようです。

とりあえず無事でなによりでした。

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